受講生・修了生のストーリー
農業を継業×映像制作
橋本 豊彦さん
篠山市の最北端にあたる草山地区で,農業と映像制作の仕事に携わっている。農業では、米や黒豆,栗などを栽培し、映像制作では自治体関連のPR動画や地元のイベント の記録撮影など大小さまざまな仕事を請け負っている。
現在の活動とこれまでの足どり
現在、橋本さんは、篠山市の最北端にあたる草山地区で、農業と映像制作の仕事に携わっておられます。農業では、米や黒豆、栗などを栽培し、映像制作では自治体関連のPR動画や地元のイベント の記録撮影など大小さまざまな仕事を請け負っています。 まさに半農半Xを地で行くのが橋本さんです。橋本さんのご実家は代々この地で農業を営んでおりました。田んぼ55アール、畑10アールに加え、祖父の代に山を開墾して造った栗園が40アールほどありました。ただ、草山地区は篠山市の中でも中心部からかなり離れた場所です。若い頃は早くこの土地から出たいと思っており、映像を学ぶことに決めたのも実はそんな理由があったからでした。
映像の仕事は見事に橋本さんの世界を広げてくれました。18歳から映像制作を学び、技術を身につけた橋本さんは、国内で10数年間 働いた後、海外での仕事を得ます。タイやカンボジア、ラオスなど主に東南アジア諸国で映像指導や観光振興の仕事を約10年間続けました。その後、2013年1月に帰国。実家にほど近い映像制作会社で2年半ほど働いた後、いよいよ篠山に戻ることを考えていた時に目に入ったのが、神戸新聞の「篠山イノベーターズスクール開講」の記事でした。当時は、必ずしも独立を考えていたわけではなく、篠山市内での就職も頭にあったとのことです。
映像の仕事は見事に橋本さんの世界を広げてくれました。18歳から映像制作を学び、技術を身につけた橋本さんは、国内で10数年間 働いた後、海外での仕事を得ます。タイやカンボジア、ラオスなど主に東南アジア諸国で映像指導や観光振興の仕事を約10年間続けました。その後、2013年1月に帰国。実家にほど近い映像制作会社で2年半ほど働いた後、いよいよ篠山に戻ることを考えていた時に目に入ったのが、神戸新聞の「篠山イノベーターズスクール開講」の記事でした。当時は、必ずしも独立を考えていたわけではなく、篠山市内での就職も頭にあったとのことです。
イノベーターズスクールに入学し
その頃は、ちょうど篠山イノベーターズスクールが開講に向け、市内で説明会を開催していた時期でした。橋本さんも、これをきっかけに地元の篠山でネットワークを広げたいと思い、まず説明会に参加しました。1度目の説明会ではピンと来なかったものの、2度目の説明会でのちにスクール1期の同期生となる広瀬さん(養父市)と出会います。前向きに地域でのビジネス展開を考える広瀬さんの姿に、こういった仲間が集まるならいいなと思い、スクールへの入学を決めました。
イノベーターズスクールで得たもの
スクールで得たものは、地域でのネットワークでした。もちろん、CBLでのノウハウや、セミナーを通じてのセオリーの習得も大きな成果ではありました。しかし、スクールを通じて生まれた数々の出会いが、その後の映像制作の仕事にもつながるなど、やはり同じような気持ちを持つ仲間との出会いや得られたネットワークに大きな価値があるとおっしゃられます。
今後の展望
現在の収入の割合は、映像が6で、農業が4とのことです。独立して事業をすることの最大の利点は時間の融通がきくことです。映像の仕事が忙しい時期などには農作業を少なくするなど、農業への時間の掛け方にある程度強弱をつけることで対応しています。30年近く携わっている映像の仕事に関しては周辺自治体からの仕事も入るようになり、高齢化によって農作業が困難になった近くの先輩農家からは、田畑を託されるようになって来ました。橋本さんの誠実な姿勢に周囲は信頼を寄せています。今後、集落の高齢化はさらに進みます。個人で耕作放棄地を管理して行くには限界があることも分かって来ました。今後は,集落営農を取り入れるなど、集落全体でこの集落を未来にどう繋ぐかを考えていかねばなりません。そのとき、「集落の内外をよく知る自分は、ウチとソトのつなぎ役、さらには上の世代と下の世代のつなぎ役になれるのではないか。」と、地元集落の地域活動にも精力的に参加されておられます。世界を知る橋本さんが、篠山の小さな集落に新しい光を灯そうとしています。